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住友コレクション 日本の近代陶芸 東西作家の競宴


― 展覧会から ―

2007年06月10日

 7月1日(日)まで、京都市左京区鹿ヶ谷下宮ノ前町の泉屋博古館で開催中。問い合わせは 075−771−6411、ホームページhttp://www.sen−oku.or.jp

重要文化財 葆光彩磁珍果文花瓶(板谷波山、1917年)
彩磁更紗花鳥文花瓶(板谷波山、1919年)
藤花絵菊花形共蓋花瓶(宮川香山、明治)
白磁桜華文花瓶(3代清風与平、明治〜大正)
古代模様細口耳付花瓶(初代伊東陶山、1910年)
鴛鴦置物(5代清水六兵衛、昭和)

 優れた中国古代青銅器の収蔵で名高い泉屋博古館。コレクションを作り上げた住友家15代吉左衞門春翠(1864−1926)は、近代美術のパトロンとしても知られています。泉屋博古館学芸員の外山潔さんによると、春翠は明治の元勲で欧州留学の経験もあった実兄西園寺公望(1849−1940)の勧めで、フランスから帰国したばかりの洋画家黒田清輝(1866−1924)の代表作「朝牀」を、明治28(1895)年に購入。その後も制作費を援助したほか、パリ留学中の鹿子木孟郎(1874−1941)や関西美術院を主宰する浅井忠(1856−1907)らを支援し、作品も買い上げました。残念ながらその多くは、須磨別邸と共に、第二次大戦の空襲で消失したそうです。

洋画家との付き合いと比較すると、陶芸家との交流の実態は、ほとんど分かっていません。住友家には、明治中期以降に春翠らが集めたと思われる近代陶芸作品が数多く残され、それらは現在、東京の泉屋博古館分館が管理しています。昨年春に同分館が開催した「近代陶磁器にみる東と西」展の出品作品などから、17作家の約50点を選び、関東を拠点に活動した5名と京焼の12名を対比しつつ再構成した展覧会です。


 関東勢を代表するのは、やはり板谷波山(1872−1963)と初代宮川香山(1842−1916)でしょう。波山の最高傑作の一つとされる葆光彩磁珍果文花瓶(高51cm)は、香山作の褐釉蟹貼付台付鉢(東京国立博物館蔵、この展覧会には出品されていません)と共に2002年、近現代の陶芸作品としては初めて、重要文化財に指定されました。艶のない独特の葆光釉を施したこの花瓶は、大正6(1917)年、第57回日本美術協会展での一等金牌受賞作。出光美術館所蔵の「大作花瓶類図集」に自筆スケッチが含まれており、「大坂住友男爵家ヘ売却ス 価格壱千八百円」の書き込みから、購入価格も分かります。今回の展覧会には、彦根更紗の地に尾長鳥を配した大正8年制作の彩磁更紗花鳥文花瓶(高39cm)、同4年の農商務省第三回図案及応用作品展覧会で二等賞を得た葆光彩磁葡萄唐草文花瓶など、代表作を含む波山作品6点が展示されていますが、ともに大正年間の作。春翠との交流を物語るエピソードは、茨城県が昭和42(1967)年に編集、発行した『板谷波山伝』に、僅かに紹介されています。あるとき波山は上京した春翠を訪ね、立派な人柄に感心はしたものの、取り巻き連中がオベンチャラを言うのに辟易して、自然に縁遠くなった、と言うのです。極貧の暮らしの中でも誇りを失わなかった、潔癖な波山の性格をクローズアップする趣旨の文脈中で語られた挿話ですが、典拠が明示されていないため、真偽は確認できません。


 宮川香山は、明治から大正初期までの13作品が展示されています。香山は代々、京都・真葛原で楽焼を専門としていた茶碗屋長兵衛こと真葛長造(1797−1868)の4男に生まれました。父が亡くなったあと、明治4(1871)年に横浜へ移住。輸出向け陶磁器を作って欲しいとの、薩摩藩御用商の頼みを受けての横浜行きだったそうです。ウィーン(1873)、フィラデルフィア(1876)、パリ(1878、89、1900)、シドニー(1879)、メルボルン(1880)、アムステルダム(1883)、セントルイス(1904)の万博をはじめとする内外の展覧会で受賞を重ね、名声を高めました。重文の蟹台鉢に代表される細工物や輸出向け主力商品だった豪華な薩摩焼風色絵金銀彩陶器を手始めに、西欧の新技術を導入して完成した色釉を駆使した洋紅と呼ぶ一群の清朝風磁器まで、作風は実に多彩。紹介される機会がそう多いとは言えない香山の実像を知るチャンスでしょう。なかでも藤花絵菊花形共蓋壺(高24.3cm)の清雅な美しさは格別です。NPO法人アート・インタラクティヴ東京理事長で東京国立近代美術館主任研究官だった樋田豊次郎さんは、1989年11月に横浜高島屋で開催された「みなと横浜が育てた真葛焼」展の図録で、この壺の制作を明治中期としています。


 京都勢の作品はスケールでは波山、香山には及ばないものの、雅な造形や絵付けに伝統の味わいを感じさせます。明治43(1910)年、伊東陶山(1846−1920)作の古代模様細口耳付花瓶(高21.8cm)は、染織と銅器の文様、造形の応用でしょうか。陶山は粟田焼の改良者としても知られています。3代清風与平(1851−1914)も内外の展覧会で受賞を重ねた人物。輸出の主力だった京薩摩風の絢爛豪華な作には無関心で、中国陶磁に学び、上絵付よりも本焼きによるシンプルな表現を目指しました。宋代定窯の趣を感じさせる桜華文花瓶(高21.8cm)に、そうした特色が表れています。5代清水六兵衛(1875−1959)は波山と並ぶ帝展、文展の代表作家。鴛鴦置物(高11.4cm)は愛らしい色絵の小品。これは昭和の作のようですから、歌人でもあった16代住友吉左衞門(1909−93)時代の蔵品でしょう。


 ほかに関東勢では井上良斎や波山の妻子、京都勢は14、15代永楽善五郎、4代高橋道八、沢田宗山、河井寛次郎、楠部彌弌らの作も展示されています。波山や香山に展覧会向きの大作、代表作が目立つのに対し、京都勢の作品は揃いの向付や茶碗などの食器も含んでいます。東西で収集方針が幾分異なるようにも思われますが、個々の制作年や住友家との交流、蔵品となった経緯などがはっきりしないため、確認出来なかったのが心残りです。

明治23(1890)年から昭和19(1944)年までに任命された帝室技芸員79名中、陶芸作家は3代清風与平(1893年任命)、初代宮川香山(1896)、伊東陶山(1917)、諏訪蘇山(1852−1922、任命同)、板谷波山(1934)の計5名。このうち蘇山を除く4名の作が見られるのも、この展覧会の楽しみの一つでしょう。


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