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  • 2007.09.25 Tuesday
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陶芸家列伝 近代篇その1 「荒川豊蔵」

荒川豊蔵人間国宝 荒川豊蔵
岐阜県土岐郡(現在の多治見市)に1894年に生まれる。
彼の陶芸家としての人生で面白いところは、齢40を数える少し前に陶芸家としての道を歩み始めるのだ。
それまでは、陶磁器に関わる仕事をしてはいたものの、陶芸家としての道を歩んでいなかった。

元々瀬戸、美濃地方には、陶器を作る職人が沢山いた。
しかし、その工程は分業化されており、ろくろ、絵付け、窯焚きなどと、一貫して1人で制作を行う訳ではなかった。
そのことを踏まえ、下記年表を見ると1922年に東山窯の工場長となっていることから、彼は窯焚きに関する職人をやっていたのかと勝手ながら想像してしまう。
しかし、そうではないと推測される事柄がある。
彼は1922年に画家を目指して上京していたのだ。その夢を挫折し岐阜に帰郷することになる。
このとき、知り合っていた宮永東山をたより京都に移り住む。
つまり、芸術家の端くれとして宮永東山と知り合っていたのだと推測されるのだ。
書生を抱える様な感じで宮永東山に甘えたのではないだろうか?
その後は良く知られている、彼の歴史だ。

もちろんどのような経緯でかれがこの人生を送ることになったかは、憶測にすぎないが、彼が成功した陰には強い人との繋がりが見え隠れする。
それが彼の人柄だったに違いない。


1894 岐阜県土岐郡(現在の多治見市)に生まれる。
1919 宮永東山と出会う。
1922 京都に移り東山窯の工場長となる。
1924 北大路魯山人と東山窯で知り合い同じ釜の飯を食う。
1925 東山窯を辞める。
1927 魯山人が鎌倉に窯を作るのに伴って鎌倉に移る。
1930 岐阜県可児市久々利(荒川豊蔵記念館がある)にて桃山時代の窯跡より
   志野茶碗の陶片を見つけ、瀬戸ではなく美濃地方にて志野が焼かれて
   いたことを証明する。
1933 魯山人の岡星窯を辞め、岐阜県可児市大萱に窯を作り、作陶を始める。
1955 重要無形文化財「志野」「瀬戸黒」の技能保持者(人間国宝)に認定される。
1971 文化勲章受章、文化功労者として顕彰。
1983 荒川豊蔵資料館を開館。



(陶芸と陶器管理人)

参考サイト
http://www.nihonkoenmura.jp/theme3/takarabito16.htm
http://www.doppo.net/sakka/toyozou/toyozou.htm
http://www.naha-okn.ed.jp/tsuboya/n-k-11.htm
http://www.seimiya.co.jp/rosanjin/rosanjin_nenpu.htm
http://www.japandesign.ne.jp/HTM/REPORT/nagoya/04/index.html

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  • 2007.09.25 Tuesday
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コメント
可児市の教員をしています。
素晴らしいサイトですね。
ぜひ、授業づくりの参考にしてください。

お姉さんに7万で買ってもらったんだが、クオリティやばすぎ!!!!

エロい・優しい・可愛いの3拍子揃ってるとか最強だろwwww

ぶっちゃけ風 俗も彼 女も、もう必要ねぇわwwwww

http://rz4bypu.book.otherface.info/rz4bypu/
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