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  • 2007.09.25 Tuesday
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堂平窯跡、美山最古か/県埋文センター調査報告書


 薩摩焼が始まって間もないころの古窯で、「文禄・慶長の役」で連行されてきた朝鮮陶工が苗代川(日置市東市来町美山)に築いたものとして2番目に古いとみられてきた堂平どびら窯跡が、美山で最も古い窯である可能性が出てきた。鹿児島県立埋蔵文化財センターがこのほど発行した発掘調査報告書で明らかになった。
 これまで苗代川系薩摩焼の窯は、朝鮮陶工が16世紀末に開いた串木野窯(いちき串木野市)に始まり、美山に移った後は元屋敷窯から堂平窯へと続くと考えられてきた。元屋敷窯とされる窯跡は見つかっていない。
 発掘調査では、朝鮮式の単室傾斜窯1基のほか、17世紀の初期薩摩焼が大量に出土。朝鮮の製陶技術が色濃く残る一部遺物が、元屋敷窯のものといわれてきた陶片よりも古く、串木野窯に近い特徴を持つことが判明した。

 報告書では、元屋敷窯は存在せず、同窯跡とされている場所には「(堂平窯の)陶工たちの屋敷や工房があった可能性」を指摘。その場合、串木野窯に続いて1610年代に堂平窯が開窯していたと想定している。
 堂平窯跡の遺物からは、薄作りが特徴である17世紀前半のI期から、器壁が厚い同後半のII期に変化する詳細な様子が分かるという。
 堂平窯跡は、南九州西回り自動車道建設に伴い、1998−99年に同センターが調査した。窯跡は約600メートル東に移設保存されている。


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「阿南窯」米留学生も挑戦 焼成イベントに参加希望急増


 阿南町富草の登り窯「阿南窯」で十九日、町陶芸体験館が一昨年から年二回のペースで開いている焼成イベントが始まった。同体験館の生徒や口コミで参加する人もいて、火が落とされるまで約百二十時間、交代で窯の番を続けながら、交流の輪を広げている。
 阿南窯は一九八五年に町が築いたが、行楽客の減少などで需要が減り、十年以上使われていなかった。二〇〇五年四月に地元の陶芸家武ノ内博道さん(50)らが「せっかくの窯。地域活性化に生かそう」と再び火を入れた。
 焼成イベントは当初こそ、体験館のスタッフと生徒だけだったが、回を重ねるごとに参加希望者が増え、ホームページ(HP)へのアクセスや問い合わせも急増。武ノ内さんによると今回は「初回の人を優先して後は待ってもらっている」状態で、名古屋や茅野など県内外の八人だけ。それぞれの作品約二百点を窯入れした。
 武ノ内さんら四人のスタッフを中心に、八人がが来られる時間を分担し合い、山中の谷川沿いにある登り窯で「窯をたく独特の雰囲気」を楽しんでいる。
 米アルフレッド大学で陶芸を勉強する学生で、六月二日から八月半ばまで体験館に留学中のクリスティン・ピーターソンさん(20)も初めて参加。大学にも登り窯はあるが、もっと小型で、ピーターソンさんは「窯が大きいので、灰が自然で予期できない模様を造る。すべてがコントロールされないのが登り窯の魅力」と目を輝かす。
 武ノ内さんは「都会から泊まりがけで体験に来てもらうなど、もっと多くの人に陶芸を楽しんでもらいたい。この辺は田んぼとか山から粘土が出る。いつの日かそれを地元の人たちが持ち寄って、自分たちの手で湯飲みやぐい飲みを作るような窯にしたい」と意気込む。長い時間をかけて作品を焼き上げる登り窯のように、地道な努力を続けていくつもりだ。
 (海老名徳馬)


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越前焼の風鈴作りピーク 陶芸作家の巧みな手さばき


 越前市大虫本町の製陶業「宗倉(そうくら)陶業」で越前焼の風鈴作りがピークを迎え、陶芸作家の宗倉克幸さん(37)が巧みな手さばきで風鈴を作り上げている。
 風鈴の形を形成する「ろくろ場」には乾燥むらが出ないように冷房装置はない。宗倉さんは噴き出す汗をぬぐいながら、いい音色になるように厚みのバランスに気を配って製作してる。
 越前焼の風鈴は、焼き締めることでガラス製の風鈴にも負けない音色を奏でるという。消費者からは越前焼特有の素朴な風合いが好評。価格は一個約千六百円で、越前町の越前陶芸村で販売している。風鈴作りは七月末まで続けられ、シーズン中は約五百個作るという。
 (長谷川寛之)


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西日本陶芸30人展始まる 25日まで 福岡市の岩田屋

 西日本陶芸選抜30人展(西日本新聞社主催)が20日、福岡市中央区天神の岩田屋本館で始まった。九州、沖縄、山口各県の次世代を担う気鋭作家の新作が集まり、個性を競っている。

 入場無料、25日まで。

 西日本新聞の創刊130周年を記念した企画展で、将来性豊かな作家を発掘、広く紹介するのが目的。各地の窯業団体、官公庁、美術館が推薦した約100人の候補者から、乾由明・兵庫陶芸美術館長、竹内順一・東京芸術大学教授ら西日本美術展の審査員4人と鈴田由紀夫・佐賀県立九州陶磁文化館学芸課長が、30人を選抜した。

 会場に集まったのは、作家のよって立つ基盤も作陶技術の背景も全く違う作品だが、「次世代を担う作家とは、そもそもそういうもの」(竹内氏)。作品の多様性が西日本地区の陶芸界の活力を示していると、審査員の評価も高い。

 岩田屋=092(721)1111。


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移民百周年プレイベント 「架け橋」展示会 20日からアプセン文化センター

 ブラジル日本移民百周年祭のプレイベントとして、「架け橋」と題した展覧会がアプセン文化センター(聖市モルンビー区モルンビー大通りカーザ・ダ・ファゼンダ街五五九四番)で二十日から来月十五日まで行われる。来場を呼びかけるため、日系画家の金子謙一、若林和夫、豊田豊三氏が来社した。

 今回は絵画だけでなく彫刻、タペストリー、染色、陶芸などさまざまな作品が出品される。

 また陶芸では、ブラジル陶芸界でも評価の高い鈴木章子氏の作品も出展される。

 来社した若林氏はデコ画廊など、日本画家や芸術家を積極的に呼び寄せ活動させていることを引き合いに出し、「イベントをきっかけに、日本の美術家もブラジル美術、芸術に目を向けてくれれば」と、日伯間の相互交流についてを思い語る。 また豊田氏は、「若い芸術家やこれからの世代にこのイベントを継いでいって欲しい。そのきっかけになれば」と述べた。

 十九日には、開会パーティーが午後六時に同センターで開催される。展覧会は正午開館、午後八時閉館。月曜定休。日曜は正午開館、午後六時閉館となる。入場無料。

 (写真=来社した若林、豊田、金子三氏(左から))

2007年6月19日付け

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笑顔の“先生”しのぶ 早世の陶芸家 愛知・岡崎で追悼展

◆障害者を指導「人生に光」
追悼展に出品される橋爪さんの遺作

 将来を有望視された陶芸家で、三十四歳という若さで逝った愛知県岡崎市羽根町の橋爪彩子さん。障害者教育にも力を注いだ彼女の一周忌を機に、恩師や遺族らによる追悼展が、二十日から同市明大寺町のギャラリー葵丘で開かれる。いつも笑顔で明るく元気だった橋爪さんの指導を受けた障害者たちも駆け付けて“先生”をしのぶ。
 橋爪さんは一九七二年、静岡市生まれ。愛知県立芸術大美術学部に入学し、同大名誉教授の加藤作助さん(66)らに師事、本格的に陶芸に取り組んだ。九六年から四年連続して「東海伝統工芸展」に入選。白い化粧土を表面に塗り、引っ掻(か)いて地の土の色を出す「掻きおとし」という技法が持ち味で、大学院修了後は愛知県美浜町で作陶活動に入り、飛躍を期待された若手作家だった。
 橋爪さんが大学生時代から関心が深かったのは、芸術活動を通じた福祉教育。女優宮城まり子さんの「ねむの木学園」の活動を知り、障害者らの豊かな感性に感銘を受けたことがきっかけだった。九九年からは岡崎市藤川町の知的障害者更生施設「藤花荘」で、絵画陶芸指導員を務めた。自閉症や重度障害者約十五人に陶芸の面白さを伝え続けながら、それぞれの個性を引き出すことに情熱を傾け、教えた障害者の作品を展覧会に出品、多くの入賞作品も生んだ。
 そんな橋爪さんが亡くなったのは、昨年六月十七日。原因不明の突然死で、亡くなるまでに制作した大皿、花瓶などの作品が残された。追悼展では「掻きおとし」で植物や鳥を描いた遺作を中心に、約百点を展示する。
 藤花荘の畔柳(くろやなぎ)政子施設長は「心を閉ざしがちな生徒たちを温かく見守り、心を通わせていた。作品を世に出すことも、まして賞をもらう機会もほとんどなかった彼らの人生に一筋の光を当ててもらった」と、功績を振り返る。
 会場では、橋爪さんの指導の様子を映したスライドなども紹介される。二十四日まで、無料。

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花テーマに、絵画・彫刻・陶芸  大山崎山荘美術館 20日から展覧会

京都府大山崎町のアサヒビール大山崎山荘美術館は20日から、展覧会「花咲くころ−モネ、ルノワールから須田悦弘(すだよしひろ)、澤登恭子(さわのぼりきょうこ)まで−」を開く。「花」をテーマに、時代や国、ジャンルを超えて集めた絵画や彫刻、陶芸など約100点を展示する。

 新館では、須田悦弘氏が精巧に仕上げた木彫の「睡蓮(すいれん)」と、フランス印象派の巨匠モネの連作「睡蓮」を並べて展示する。須田氏の睡蓮は5年ぶりの公開となる。

 世界を舞台に発表を続ける若手作家、澤登氏が女性の神秘や力強さを表現したビデオ作品「献花−花を産む」なども展示。本館も使って、江戸中期の陶工・画家尾形乾山や南画家富岡鐵斎の花をモチーフにした日本画、陶芸家河井寛次郎の器などのほか、フランスの画家ルノワールや米国を代表するポップアートの先駆けウォーホルらが手掛けた花にまつわる多彩な作品を紹介する。

 9月17日まで。月曜休館。入館料は大人700円、高大生500円。問い合わせは、同美術館TEL075(957)3123。


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昭和村で陶芸やりたい 名誉村長・中村玉緒さん


「来園者と一緒に焼き物に取り組みたい」と話す中村玉緒さん=美濃加茂市山之上町で

 「昔からの夢を実現したい」−。美濃加茂市山之上町の平成記念公園・日本昭和村の名誉村長中村玉緒さんが十八日、同園を訪れ「園内の登り窯で、みんなと焼き物を作るプロジェクトに取り組みたい」と語った。公園を設置、整備した県も「検討したい」と前向き。実現すれば、焼き物を通して交流の輪を広げるユニークな試みになりそうだ。
 中村さんは、二〇〇三年四月の開園以来、村長を務め、今年が五年目。これまでたびたび来園し、トークショーやレトロファッションのコンテストの審査員を務めるなど、来園者とのふれあいを大切にしてきた。
 その中村さんが、以前から気にかけていたのが、登り窯。昭和三十年代の山里を再現した園内の一角にあるが、ほとんど使われていない。三十年以上前、石川県の九谷焼を題材にしたドラマに主演した経験がある中村さんは、焼き物作りが長年の夢だったという。
 中村さんの考えでは、全国に参加を呼び掛けて毎年一、二回、来園者と陶芸作品を制作。中村さんの好きなバラ模様の絵付けをした皿やカップ、帯留めなどを作り、完成品は廉価で販売する。「皆さんと一緒に作るのが楽しい」と中村さん。一度きりのプロジェクトでなく、長い目で、全国の人に、昭和村や岐阜県をPRしたい考えだ。
 中村さんは、着物のデザインでも知られる。専門家の助けや、燃料のアカマツの確保、資金面など、実現には課題も残るが、中村さんは「参加者と一緒に、下呂や郡上に宿泊し、食事をするのもいいですね」と夢を広げている。
 (井上昇治)

27、28日に陶芸作品展・くらしセンターべしみが山崎陶房で


 越谷市恩間新田の福祉施設「くらしセンターべしみ」(社会福祉法人つぐみ共生会運営)では、障害を持つ通所者たちによる初の陶芸作品展を27日と28日に春日部市備後東の山崎陶房で開く。
 「べしみ」は障害のある人もない人も共に地域で働き、暮らす社会の実現を目指す福祉施設。1995年に開設され、20代から60代の20人の通所者が通っている。施設内では陶芸をはじめ、パン・クッキーやさをり織りを作り、販売している。
 陶芸は毎月2回、地域の人たちと一緒に作品を作っている。今回は小皿や小鉢など陶芸作品約500点を展示。100円から300円で販売する。同施設の星名良浩施設長は「この機会に私たちの作品や日々の活動、暮らしを地域の皆さんに少しでも伝えることができたら」と話している。
 陶芸展は午前10時から午後4時まで。場所は一ノ割駅東口の商店街にある。
 
<問い合わせ>くらしセンターべしみTEL975・8511、山崎陶房TEL048・735・6495。


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曜変の光に魅了され 謎の制作方法、挑む陶芸家たち

 漆黒の釉(ゆう)面に大小の斑文が青い光彩をともなって浮かびあがる。曜変天目茶碗(ちゃわん)。光と見る角度でがらりと変わる神秘的な表情は人々をとらえて離さない。制作方法は全くの謎で、多くの日本の陶芸家が、その妖(あや)しい小宇宙に迫ろうと心血を注いできた。近年では、国内外で評価される逸品が次々と生まれ始めている。

◆中国の土輸入して試作

 東京都世田谷区の静嘉堂文庫美術館には、800年ほど前の中国・宋の時代に焼かれ、日本にしかないと言われる三つの曜変天目茶碗の中で、最も華麗な「稲葉天目」(国宝)が所蔵されている。この春に亡くなった米山寅太郎館長は曜変を目指す陶芸家たちを半世紀以上見守ってきた。

 愛知県瀬戸市の長江惣吉さん(44)もその一人。「(曜変の)光の中に自分自身が入っていられたら」と語った父に続き、追い求めてきた。

 「のめり込む父と、働きづめの母の苦労を見てきたから継ぐ気はまったくなかったが、私が33歳の時に父が脳梗塞(こうそく)で倒れ、覚悟を決めたんです」と長江さん。「同じ土、同じ条件で焼かなければ意味がない」と、曜変が焼かれたと言われる中国福建省の建窯跡地を30回近く調査し、40トンの土を2回、釉薬のための石を5トン輸入して試作を重ねた。

 全長10メートルの窯で、1回の焼成に二晩。一睡もできない作業で、体力的にも年に2、3回が限度という。

 岐阜県土岐市で創作を続ける林恭助さん(44)も静嘉堂に通い、研究を続けてきた。建窯近くの土を使いながら、コンピューター制御できる窯を使用し、5年前に曜変の初個展を東京で開いた。

 今年3月には北京の中国美術館で個展があり、中国の研究者も出来栄えを称賛した。異例なことに、今月末にも北京の故宮博物院に作品が収蔵される予定だ。

 瀬戸や美濃など古くからのやきものの産地では「曜変に手を出したら身上をつぶす」と警戒もされるが、追う者は後を絶たない。

◆100回焼いて満足2碗

 京都府宇治市で茶陶を焼く桶谷寧さん(39)も、そのいばらの道を歩む一人。思索と試行の末、建窯にはこだわらず、100碗程度を炭で囲み、泥をかぶせて火を入れる方法に行き着いた。毎日のように焼き、経験を蓄積しながら、満足できるのは100回焼いてもせいぜい2碗。ほかはすべて割ってしまう。

 陶芸の家に生まれたのではなく奮闘しているのは神奈川県中井町の瀬戸毅己さん(48)。横浜・中華街で17年前に中国の論文を手に入れて以来、「自分だけの曜変」を目指している。

 アールヌーボーのガラス工芸家、エミール・ガレの技術も援用。「収入につながらなくて苦しい。でもしょうがない。ドン・キホーテのような気分です」

 長年の推理と実作で得た究極のノウハウについては口を閉ざしつつも、着実に曜変に近づいていく現代作家たち。その成果は、多くの優れた先人が積み重ねた器の上に成り立っている。

 悲劇もあった。久田重義さんは、日本伝統工芸展で2回受賞するなど高い技術で知られる愛知県常滑市の陶芸家だった。元旦以外は朝から曜変を焼き続け、斑文の周りに青い光彩が美しく光ると「だんだん近づいてきたね」と妻のゆき枝さんに語りかけた。しかし6年前、個展を間近に自ら命を絶った。周囲は、曜変というあまりに高い壁を思ったという。

 なぜ陶芸家たちは、このあまりに高い壁に魅せられ、挑んでゆくのか。

 京都の桶谷さんは「曜変は世界に残された神秘性の最後の砦(とりで)。知人や妻の支援でなんとか焼き続けている。もう、宿命」と話す。

 曜変には、類似作も残っていないし、手に取ることすら、ほとんど不可能。壁というより、夜の天空でひときわ輝く星か。陶然とならざるをえない奇跡の美は、陶芸家たちを迷わせ、駆り立ててもきた。ただ己の眼力と腕だけが頼りなのだ。

 東京国立近代美術館の唐沢昌宏主任研究員はさらに、「鑑賞する側も、世界の至宝である静嘉堂の曜変が頭に焼き付いているから新しい表現を受け入れるのは難しい」と、もう一つの壁を指摘する。

 「でも陶芸家には、その壁を越えて、ぜひ、独自の形と美にも取り組んでほしい」と「さらに先」への期待も寄せている。


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